独り言日記

日々の悩みや迷いなど、独り言のように書いてます。

待つだけではなく

「はるがきた」
ジーン・ジオン文 マーガレット・ブロイ・グレアム絵 おみや ゆう絵

●あらすじ
もうすぐはるです。太陽がビルの上から顔を出し、カレンダーを見ると春はすぐそこ。

でも、まちはまだ灰色です。
はるは、まだどこにもみあたりません。

「はるは まだ こないのかしら」
「いいかげんに きてほしいもんですなぁ」
人々も街の色と同じようにくらく沈んだ気持ちです。

そんな時、ひとりの男の子が
「ねぇ!どうして はるを まってなきゃいけないの?まってなんか いないでさ、ぼくたちで まちを はるに しようよ!」と思い付きます。

それからみんなは、街中に絵を描き、まちじゅう すべてのものがぬりかえられ、どこも かしこも、あかるく かがやきだします。

ところが そのばん、雨がふり続き、あさになると、みんなで描いた花や緑は きれいさっぱり流されてしまいます。

でも、その雨が、ほんものの花や緑を目覚めさせます。

動物達は、伸びをして、暖かい太陽の下で昼寝をし、みんなご機嫌。

いちばん 喜んだのは子ども達です。街中 どこを見ても 全てのものが目覚め、いきいきと輝いています。

●読んでみて
春が来ると、草花が目覚め、小鳥もさえずり、子ども達が自転車に乗り、遊具に集まり、遊び回る。雪国では冬から春への景色の変わる様子は魔法のようです。冬が終わると春がくるという当たり前。この当たり前に起きていた魔法のような季節の移り変わりがどんなに幸せなことだったか。

春がこないならはるにしよう!と男の子が言えたように、楽しいことができないなら楽しいことを考えよう!この力、発想力とでも言うのでしょうか。そんな力の少なさを考えた自粛期間。

どうしたら子どもと楽しく過ごせるだろう。習い事、学校、幼稚園が無い中で大部分の楽しいことや頑張ることを任せていた中で、この絵本のように私が一緒に音楽を奏でたり、絵を描いたり、協力したり、試行錯誤して頑張ってみて楽しかった日もあったかもしれない。でも、私の自己満足だった日の方が多いかもしれない。

楽しいことを考えるのが苦手。楽をするのは簡単なこと。ただ、来ない春を待つだけの大人のように「楽しいこと ないかな」「早く楽しいことが起こらないかな」なんて待っているだけでは何も変わらないことがわかった今、この絵本の中では結局描いた絵は雨で流され、春が来たけれど、自分はどうしてみる?
それは、この絵本には書かれていない。

観察とお散歩

『じっちょりんのあるくみち』を読んだ次の日、さっそく幼稚園の娘とお散歩。

『この木のトンネルの道、じっちょりんが居そうだね』と話しかけると、『この蟻さんの穴にもいそうだね』『この小さなトンネルにも隠れていそうだね』とじっちょりんが隠れていそうな場所を楽しげに教えてくれる娘。

いつものお散歩道でもじっちょりんがいるかもしれないと思うと、普段は気にしていなかった場所や植物に目がいきます。

6歳の娘も本当はじっちょりんはいないともう知っているのかもしれないけれど、手をつないでママと草木や花を見て、じっちょりんを想像することが楽しそう。

季節の絵本

『じっちょりんのあるくみち』かとう あじ

●あらすじ
団地の隅に住むとても小さなじっちょりんかぞく。はなびらやはっぱは食べますが、種だけは取って置きます。そして、どんぐりのぼうしで作った鞄を背負って出発します。

「よし、ここに種を植えよう」

パパじっちょりんが種の入った鞄の蓋を開け、コンクリートの道や壁の小さな隙間の中に種を植えます。

「きれいな花が咲きますように」

太陽が沈む頃、階段を登ると…

●感想
じっちょりん家族は女の子に見つからないように隠れたり、突然現れた犬に驚いたり、大きな靴を上手に避けたり、様々なハプニングも家族で協力し、楽しみながら丁寧に種を植えている姿が微笑ましいです。特に小さな体全身で驚く姿がクスッとなります。

「ここにも花が咲いたらいいね」

誰に頼まれたわけでもないけれど、本来ならば咲かなかったかもしれない場所に花を咲かせるじっちょりん家族。細かく柔らかく描かれた花の絵も素敵です。

コンクリートから出てきたタンポポを見つけたら『じっちょりんが撒いたのかな?』と子どもに言ってみると喜びそうで、いつもと違ったお散歩ができそうです。